2012年12月29日

私と民謡とのかかわり

私の家族は、三代続いてきた民謡一家です。
それなので、もの心つく前から
生活の中には民謡があふれていました。
私が今、こうして民謡のお仕事をしていることも
家族の影響が大きかったからだろうと思います。

Scan10005-1.jpg
(私の演奏中のショットです)

私の祖母である初代 貴世旵(きよてる)は
民謡の先生をしていまして、自宅でお教室を開いていました。
お教室をするにあたっては、三味線の伴奏が必要だということで
私の母・生日和(いくひわ)は半ば強制的に
三味線を習わされていたそうです(笑)。

昔のことですから、三味線のお師匠さんがわざわざ家までいらして
お稽古をつけてくださって、母は嫁入り前から
一生懸命に三味線を練習していた(させられた?)という話でした。
ですから私は、母のお腹の中にいたときから三味線や民謡を聴いて
そのしらべの中で育ってきた、といえるかもしれません。

私が生まれる前も生まれてからも、自宅では民謡のお稽古がありましたし、
祖母や母は、私を外部のお稽古場によく連れて行ってくれました。
当時は、ろくに口も回らないようなオチビさんだった私でしたが
「ハイッ、ハイッ、ハイ〜♪」「チョイチョイ♪」
なんて自らお囃子をかけたりして、
一人前の顔をしてお稽古に参加していたそうです(笑)。

「民謡一家の子どもだから、民謡を習わなくては」
というプレッシャーは、まったくありませんでした。

私の中にも「どうしても民謡をやりたい!やらねば!」
といった燃えるような熱意はありませんでしたし(笑)、
祖母も母も、民謡を強制したことは一度もありませんでした。
ただ、私が唄うと、祖母はいつもとても喜んでくれましたから
それが子ども心に励みになって嬉しかったのを覚えています。

「こんなにおばあちゃんが喜んでくれるなら、
もっとやろう、もっと唄おう」
という感じで、自然とお稽古をするようになっていました。



5歳から10歳までは、父の仕事の都合でオーストラリアに行ってました。
その間は、民謡とのかかわりは一切ありませんでした。
私の母は、オーストラリアの方に日本文化を紹介してほしいと頼まれて、
レセプションで三味線を弾いて聴かせたり、
着物や浴衣の着付けなどを教えていたようですが、
子どもの私は日本語もすっかり忘れて英語しか話さなくなって、
現地の生活になじんでいたのです。

ですから、帰国してしばらくの間は民謡はもちろんのこと
日本語もまったくわからなくて、すごく違和感がありました。
それでもやっぱり帰ってきたら
「おばあちゃんのそばにいたいなあ」と思って、
お稽古場をウロチョロしていましたね(笑)。
まあ、お稽古場のおいしそうなお菓子が実は目当てだった…
ということも、たまにはありましたけれど(笑)。

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(私が民謡指導を受け持っている「ときわぎ会」の発表会風景です)

私が日本に帰ってきた当時は、まさに民謡ブームの真っ盛りでした。
最盛期には、祖母の民謡のお弟子さんは180人以上いましたし、
朝から晩まで1日中お稽古!といってもいいくらい
過密スケジュールの中で祖母は教えていました。
お稽古場にはいつも最低でも12〜13人のお弟子さんがいて、
本当にすごい熱気で唄い込んでいたものです。

当時のお弟子さんの中には、小さな子どもさんも見えていました。
20〜30代の若い人も、70〜80代の方もたくさんおられて、
本当に幅広い世代の方々が民謡を楽しまれていました。
当時は「1曲でもいいから、宴会で民謡を唄えるようになりたい」
という方も結構たくさんいらしてましたね。

そんな祖母は、晩年はとてもボランティアに力を入れていました。
中野区の視覚障害者の方たちのサークル「白杖会」へ出向いて、
熱心に民謡を教えていたものです。

それから中野区の教育委員会に頼まれて、
「ことぶき大学」(中野区在住の高齢者の方々の学びの場)の
クラブ活動の講師を引き受けたりもしていました。
ことぶき大学のクラブ活動は、現在は廃止されましたが、
民謡の会は今でも続いていまして、
通算1500回以上を数えるほどになりました(※2012年時点)。

あとは東京都からの要請を受けて、ベタニアホームという
介護老人福祉施設にも月に1回、伺っていました。
祖母からが始めたそれらのボランティア活動は、
二代目貴世旵(きよてる)となった私の代でも、すべて続けています。

祖母は体が小さくきゃしゃな人で、
体も丈夫ではなく、心臓病を抱えていていたのですが
とても気丈で、面倒見がよく「頼まれたことはやってあげたいから」と
具合の悪いときでも全部の指導を引き受けていました。
私はそんな祖母を本当に尊敬していましたし、大好きでしたので、
少しでも長くそばにいたくて民謡をやってきました。


こうして振り返ってみると、私の人生の中には
本当に、常に民謡があったという感じでしたね。

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(民謡のコンクールの受賞式で、舞台に上がったときの写真です。
我ながら嬉しそうな笑顔です^^)
posted by 駒和美 at 05:00 | TrackBack(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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